人類の不思議

人類は何故、大地溝帯だけで発祥するのか

大地溝帯は、487±23万年前にヒトがチンパンジー亜族と分岐して以来、多くのヒト亜族(人類)を生み出してきました。現在発掘されるヒト亜族の人骨化石は、そのほとんどが大地溝帯周辺から発見されています。現生人類以外は全て滅んでしまいましたが、なぜ、大地溝帯だけで人類が発生するのでしょうか?

それは、豊富な食料と、マントルから発生する自然界の20倍もの放射線に原因があるようです。ライオンの長いたてがみ、象の長い鼻、キリンの長い首。そして人類の二足走行。大地溝帯には、生物の目的要求に答えて、進化を促進する条件が整っているのです。

関連項目:人類の発祥地

象は癌に成り難い

一般的に、体が大きく細胞数が多いほど癌にかかる確率が高いと考えられます。人も身長が高くなれば体も大きくなり、身長が10cm高くなる毎に、癌になるリスクが16%増加するという研究報告も出ています。

では何故、体が大きくて細胞も多い象は、人よりも癌に成り難いのでしょうか。
生物には、紫外線や放射線などの遺伝子ストレスに対応し、DNA 修復タンパク質を量産する機能があります。人は癌抑制遺伝子 p53 をコードする遺伝子が2種類ありますが、象には38種類もあり、ヒトよりもはるかに癌に成り難いというのです。

象は、ヒトよりも大地溝帯の放射線を長期間浴びてきた結果、癌への抵抗力を身につけたのかも知れません。

人類の狩猟行動が二足走行を生み出した

象の長い鼻、キリンの長い首。動物は、食糧を得る為の進化を最優先します。15±5万年前、地上に降りた人類は、初め動物の死肉を漁っていたと思われます。その後、自ら動物を狩る様になります。捕食される側から捕食する側への転換です。人類の初期の狩猟も、他の肉食動物と同様に、獲物が疲れて動けなくなるまで追い駆ける方法だったと思われます。人類は、種に合った狩猟方法として、持久力に優れた二足走法を発達させたと考えられます。

狩猟は集団行動を生み、相手の考えを読み取る能力と意思疎通のための言語を発達させ、同時に脳の活性化を促しました。

人類が衣服を着た日

ヒトの衣服に寄宿するコロモジラミ(Pediculus humanus corporis)は、約7万年前に毛髪に寄宿するアタマジラミ(Pediculus humanus capitis)から分岐して、人類の移動と共に世界中に拡散したようです。言い換えれば、約7万年前に人が衣服を着るようになり、環境に応じてコロモジラミが分岐したと考えられます。

7万年前は、インドネシアのトバ火山が噴火した時期と重なります。人類がこの10万年間に遭遇した最大の噴火で、インド大陸は厚さ2mの火山灰に覆われ、大気中に巻き上げられた火山灰が日光を遮断し、地球の気温は5℃も下がりました。この寒冷化はおよそ6000年間続いたとされています。

現生人類とネアンデルタール人の交配

ネアンデルタール人

ネアンデルタール人 ネアンデルタール人

ネアンデルタール人は、67±2万年前に誕生して 2万8,000~2万4,000年前に絶滅したと考えられており、約6万年前に出アフリカをした現生人類と生存時期が重なります。各地で発見されたネアンデルタール人の遺跡からは、ヨーロッパから中央アジアの山岳地帯に分布し、主に山の麓の洞窟に居住して狩猟生活をしていた様子が伺えます。肌は白く、男性は身長160cm 体重90kgと、当時の現生人類の男性(身長140~150cm)に比べるとかなり大きく屈強な体躯の持ち主だったようです。(水色:ネアンデルタール人の生息地。斜線:人類の生息地と重なった地域。赤:デニソワ人)

約40万年前に出アフリカをしたネアンデルタール人。その遺跡からは、洞窟住居、洞窟壁画、炉、石器、他に埋葬の習慣も確認されており、アフリカを出て間もない現生人類との文化の差は著しかったと思われます。

A の一部にしか過ぎなかった出アフリカ組は、中東でネアンデルタール人の文化と形質を多く受け継いだ CF と、ほとんど受け継がなかった DE に二分化した可能性が示唆されています。

CF から分岐した F は メソポタミアに定住し、突然、白肌・大柄・赤毛・金髪・碧眼など現代欧米人の形質を生み出します。一方、C は D と共にインド大陸・東南アジアへ移動して行きます。E は地中海から北アフリカに展開した後、アフリカに戻ります。

DPB1*0401

現生人類とネアンデルタール人の交配があったかどうか長い論議が続いて来ましたが、最近、現生人類には 1~4%のネアンデルタール人由来の遺伝子が含まれているとの研究結果が出されています。

2013年11月8日に発表された「The Journal of Biological Chemistry」のHLA抗原・免疫システム解析報告も、ネアンデルタール人との交配説を補強するものになりました。

病原体が侵入すると、ヒト白血球抗原 (HLA) 系は、特定の遺伝子の助けを借りて、"HLA-DRaDPb"という受容体を作ります。ヨーロッパの3人に2人はこの重要な器官を持っていると推定していますが、人類発祥の地と知られているアフリカ南部の住民の間ではこの受容体をつくるのに必要な遺伝子塩基配列が非常に稀なのです。

つまり、現生人類の祖先にあたる初期の人間がヨーロッパに移動してきた頃には、まだこの受容体を持っていなかった。そして、その遺伝子塩基配列は、ネアンデルタール人の骨の小片に見出されます。

多くの動物は、両親からそれぞれ1セット、合計2セットのゲノムを受け取ります。これは、各遺伝子座について2個の遺伝子(対立遺伝子)を持っている事を意味します。両親から同じ対立遺伝子を引き継いだ状態をホモ接合、異なる対立遺伝子を引き継いだ状態をヘテロ接合と呼びます。つまり、ホモ接合は交配の割合が低く、ヘテロ接合は交配の割合が高い状態を表しています。

その中で、DPB1*0401対立遺伝子は、アフリカ南部で稀、北欧で高頻度になっています。Lys-69とGGPM-(84-87)はネアンデルタール人起源の遺伝子で、本来の現生人類には無かったものです。

もう一つ注目すべき点は、この対立遺伝子がアフリカ・東アジア・オーストラリア・メラネシア・南米で極めて低めになっている事です。

デニソワ人

デニソワ人は、約64万年前にネアンデルタール人から分岐して、4万1,000年前にシベリア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟に住んでいた化石人類です。最終氷期が終焉に向かい寒冷地の動物が激減する中で、狩猟から農耕に切り替えられなかったネアンデルタール人やデニソワ人は絶滅してしまいます。

身体的特徴は交配によって伝わり、文化は交流によって伝わります。孤立して異文化との交流が絶たれたアンダマン諸島やメラネシアの住民が、今でもほとんどアフリカを出たばかりの状態にあるのはその為です。

5万年前にバイカル湖に到達した C, D も、中東でネアンデルタール人との交配が低かった為に、ほとんどアフリカを出たばかりの状態だったと思われます。その C, D が バイカル湖やアルタイ地方でいきなり世界最高峰の文化圏を築きます。これも、アルタイ地方でデニソワ人との交配や交流があったと考えれば、納得がいきます。

人骨化石を分析すると、現生人類の手は、ネアンデルタール人やデニソワ人の手よりも器用に出来ているようです。アジア人の髪の直毛やチベット族の高地適応能力もデニソワ人との交配の結果かも知れません。

クロマニヨン人

ヨーロッパで出土する、4万~1万年前の人類化石につけられた名称で、身長約180㎝のコーカソイド系化石現生人類。発掘された人骨から Y-DNA F系と mtDNA N系が確認され、コーカソイドの直接の祖先もしくはその支流と考えられています。すでに、精密な石器や道具を製作し優れた洞窟壁画や彫刻、死者の埋葬・呪術を行なうなど、進んだ文化を持っていました。

港川人

沖縄県・港川で発見された、約1万7,000年前から8,000年前頃の人骨化石。身長は男性153〜155cm、女性144cm。全体的に小柄で胴長短足。形態がオーストラリア先住民やニューギニアの集団に近く、Y-DNA C1系と思われます。

上洞人

上洞人(じょうどうじん)は、中国・北京郊外の竜骨山の頂上付近で発見された老若男女7体分の化石人骨。ヨーロッパのクロマニョン人と同時期のもので、身長・脳容量は男女とも港川人・縄文人よりはるかに大きい。原始的なモンゴロイドの形質を示し、固体別にはクロマニョン人、メラネシア人、エスキモーの特徴がみられ、デニソワ人との交配が指摘されます。

太平洋戦争中に、北京原人の化石とともに北京にある米軍の兵営に運び込まれた後に行方不明になりました。

YAP系の特異性

ハプログループ DE は、Y-染色体の長腕部に、YAP(ヤップ、Y-chromosome Alu Polymorphism)と呼ばれる約300の塩基からなる Alu 配列が挿入されている多型です。古代に起きたこの変異の痕跡は、本来なら tRNA(トランスファーRNA)や rRNA(リボソームRNA)などの RNA に転写されなけらばならないのが、何らかの要因で Y-DNA に挿入されてしまったものです。YAP 変異を持つ系統は、世界でも DE, D, E の系統に限られます。

約6万5,000年前に、東アフリカのトゥルカナ湖東北部に住んでいた一人の男性にこの変異が起こり、これが DE系の起源になります。この変異が、人体にどんな影響を及ぼしているのかは解っていません。

D系の不思議な行動

日本人・チベット族の先祖 D系は、DE 譲りの真黒の肌でした。アフリカ人より黒かったのです。その D系は、E系をアフリカに残し、6万年前に早々とアフリカを出ます。以後常に行動を共にする C系と、中東・インド大陸・東南アジアに子孫を残しながら横断します。灼熱の赤道沿いを移動して来た D系は、スンダランドには目もくれず、一転して北上を始め、東シナ海から中国大陸・日本列島へ渡り、少なくとも5万年前にはチベットとバイカル湖畔に到達しています。

紫外線に弱い白人の I系(ノルマン民族)が氷河を超えて北ヨーロッパに移動したのは理解できるとしても、灼熱の赤道直下の生活に特化した D系が極寒のシベリアに移動したのには、如何なる理由があったのでしょうか。

また、最終氷期が終了して、それまで常に行動を共にしてきた C系がシベリアから中央アジアや北米大陸へと拡散したのに対して、D系はその痕跡があまり見られません・・・。

ドラヴィダ族の謎

Y-DNA L の分布

メソポタミア地方から中央アジア付近にかけて発生したドラヴィダ族 L は、C系の小柄・巻き毛・大きな目のネグリート体質を受けついだようです。その為、DNA の観点からは古モンゴロイドに分類されています。ドラヴィダ族は、ネアンデルタール人との接触に端を発した石器革命で、人類史上初めての農耕民族の道を進み、メソポタミア・インド・東南アジア・東アジアに広く拡散し世界各地に古代文明を築きます。

ドラヴィダ族は、約12,000年前に長江中流域で O1・O2系と共に稲作を開始し、9,000年前にはインダス川流域で H系と共に大麦・小麦の耕作と牛・羊・山羊の牧畜を開始しますが、約5,000年前に表舞台からこつ然と姿を消し始めます。

ドラヴィダ族は、農耕民族特有の女系社会で、それが故に、周囲の Y-DNA と置き換わり融合したと考えられます。最終的には、約3,500年前に始まった J1(アーリア人)の侵入により、南インドのタミル地方に、その古代の文化を残すのみとなります。

シュメール人の謎

シュメール人は、10,000年前にチグリス・ユーフラテス上流域で、狩猟採集生活から、大麦・小麦の栽培と牛・羊・山羊の牧畜に移行して定住し始めます。自らを"混ぜ合わされた者"と称すシュメール人は、周囲の J系の民族とは姿も言葉も文化も異なっていました。

特異な文化を築き、エジプト文明にも影響を与えたそのシュメール人も、5,000年前を境にしてこつ然と姿を消して行きます。当時、農耕のプロフェッショナルといえばドラヴィダ族しかいません。おそらくシュメール人の起源は、ドラヴィダ人の集団だったと考えられます。

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