人類の移動ルート

関連ページ

現生人類の発祥

分子遺伝学の発展により、現生人類の全ての女性は、15±5万年前の mtDNA Eve と呼ばれる共通女系祖先を保有していることが分かってきました。同じように全ての男性は、15±5万年前の Y-DNA Adam と呼ばれる共通男系祖先を保有しています。

今から135,000年前~90,000年前のアフリカで起きた大干ばつで、人類は数千人にまで減少し、絶滅の危機を迎えます。辛うじて生き残った Y-DNA Adam の一族は、中央アフリカの森を去り、エチオピアのトゥルカナ湖(Lake Turkana)湖畔で mtDNA Eve の一族と出会います。結果的に、その子孫以外は全て滅亡しますから、この出会いが現生人類の運命を決める重大な出来事になりました。

75,000年前~70,000年前には、インドネシアのトバ火山が大噴火を起こし、人類に更なる試練を与えます。大気中に舞い上がった大量の火山灰が日光を遮り、地球の北半球は急激に寒冷化します。その寒冷化が最終氷期に繋がり、ネアンデールタール人と現生人類以外のヒト亜族は絶滅してしまいます。

狩猟民族の Y-DNA Adam と漁猟採集民族の mtDNA Eve の子孫は、多様性を発揮しました。今から約65,000年前、エチオピアを起点に森や草原が復活したアフリカ大陸へ再び進出して行きます。これが現生人類の移動と拡散の始まりです。

現生人類の移動と拡散

人類の移動経路

古代遺伝子の移動と拡散

【65,000年前 → 45,000年前】Y-DNA Adam と mtDNA Eve の子孫たちが、エチオピアから各地へ移動・拡散して行きます。A, B, E は、E の一部を除いて出アフリカをしませんでした。草原の狩猟民族 A は南アフリカの草原地帯へ移動し、森の狩猟民族 B は、先祖が住んでいた中央アフリカの森林地帯に戻ります。

海洋民族で冒険遺伝子の C系は、現生人類最初の出アフリカ集団で、55,000年前にはすでにオーストラリアに到達していたと思われます。

YAP と呼ばれる DE は、他の系列には見られない特殊な Y-染色体の変異を持っていました。DE から分岐した D は、よほど C系との相性が良かったようで、常に行動を共にして出アフリカを成し遂げます。漁猟採集民族 C と狩猟採集民族 D の組み合わせは、食糧確保や移動手段の選択肢を広げました。砂浜のハイウエイを突っ走り、中東・インド大陸・東南アジアを通って、東シナ海から中国大陸・日本列島に上陸、50,000年前にはチベット・バイカル湖周辺に到達します。この C系と D系が、いわゆる古モンゴロイドです。

DE から分岐して D と別れた E系は、A, B と交配しながらアフリカ最大のハプログループになります。
後に多くの新興遺伝子を生み出す F は、野生の雑穀が生い茂った、メソポタミア地方を中心に半定住します。

新興遺伝子の発生と拡散

【45,000年前 → 25,000年前】バイカル湖・湖畔に到達した Y-C1aと Y-D1は、細石器や土器を発明してバイカル湖やアルタイ山脈の麓を中心に、シベリア・中央アジア・日本列島に拡散し、旧石器時代最高峰の文化圏を確立します。日本列島では40,000年前~30,000年前に、石器の最終形である磨製石器が世界に先駆けて沢山作られました。

古代遺伝子の移動は一段落し、メソポタミア地方からインダス川流域に半定住していた F から、多くの新興遺伝子が発生します。

中央アジアで F から K が分岐します。K は、L, M, N, O, P, Q, R(いずれも近い将来 K に統合されるようです)の侵入拡散型新興遺伝子を数多く輩出します。

F から分岐したシンハラ系 H と、K から分岐したドラヴィダ系 L は、共にインド大陸に移動して拡散します。
メソポタミアで F からセム族 J が分岐。南東アジアで K から O が分岐。

移動生活から定住生活へ

【25,000年前 → 5,000年前】最終氷期が終焉に向かい、マンモス、ナウマンゾウ、オオツノジカなどの大型動物は絶滅してしまいます。温暖化に伴い、人類は移動・拡散のスピードを増します。狩猟民族の人口は減少し、変わって農耕民族の人口が急増します。

ヨーロッパでは、F から分岐したノルマン民族 I が、初めて氷河を超えてスウェーデン・バルカン半島に入植します。

アルタイ地方では、D1 と C2b系の移動が始まります。磨製石器・細石器と土器制作技術を伴ったアルタイ文化の拡散です。南に向かった集団は、満州・遼東半島から黄河中・下流域に移動します。西に向かった集団(テュルク系)は、中央アジア・古トルコの地へ移動します。北に向かった集団は、ベーリング海を横断して、人類で初めて北米に入植します。

大型動物を追って日本列島へやって来た D1, C1a, C2 は、海面上昇により孤立します。人々は、狩猟採集・漁猟採集・栗栽培に転じ、それぞれ列島固有の遺伝子 D1b, C1a1, C2a に変異して縄文文化を花咲かせます。

長江中流域では、12,000年前に L系(ドラヴィダ族)と D1a系(苗族)が焼き畑から水田稲作の長江文明(玉蟾岩遺跡)を興し、10,000年前には長江下流でも、 D1a系と O1系(台湾先住民、タイ・カダイ語族)が水田稲作(上山遺跡)を開始します。黄河中流域では、7,000年前に D1系がヒエ・アワを主体にした黄河文明(仰韶遺跡)を興します。本格的な農耕による定住化の始まりです。

農耕は、ほぼ同じ時期に世界各地のドラヴィダ系民族によって始まります。メソポタミアでは 9,000年前にシュメール(ドラヴィダ系)文明が興ります。インド大陸でも、ドラヴィダ族 L がインダス川流域で農耕に着手し、インダス文明の基礎を築きます。

8,000年前に南下した N系が、中国北部に侵入します。先住民の D1系(興隆窪遺跡)は、黄河流域へ移動します。磨製石器・轆轤(ろくろ)製土器・翡翠の玉・龍・骨の笛・甲骨文字・醸造酒・犬。周囲と全く異なったこの特異な文化は、黄河中流・准河(わいが)流域の買湖遺跡(9,000年前)にも、夏族に占拠されるまで残ります。

有史時代は侵略の歴史

【5,000年前 → 現代】メソポタミア文明の影響を受けて、エジプト文明が興ります。メソポタミア文明はシュメール人(ドラヴィダ系)、エジプト文明は E1系が起源と思われます。農耕民族の周囲には遊牧民族が点在して交易の役を担います。

農耕の始まりは、侵略の始まりでもありました。遊牧民は、豊かな土地に侵略して土地と文化を奪い、住民を支配下に置きます。そこにはまた、新たな異民族が侵入して来て忌まわしい歴史を繰り返します。

中国・黄河中流域で、羌族の夏が苗族の邑々を平定して夏王朝を建てます。どちらもチベット系先住民族ですが、遊牧民族と農耕民族の対立になりました。この夏王朝が中国最初の国家となり、以後、N系(ツングース系)の殷、D1a系の周、J系の秦、O3系の漢、・・・と遊牧民族の侵略国家が入れ替わり誕生することになります。

Google Sponsored

コメント

このページに関する、ご感想やご質問をお寄せください。
お名前と都道府県名は、正確にお書きください。 - 泰山 -

お名前: *必須
都道府県: *必須
コメント: *必須
No.000292 清水敏夫 神奈川県 2016-10-06 13:47:27
泰山 様
 泰山さんの導き出した解からの考察
>日本人が、日本列島という自然災害の頻発する地域で、自然と共生しながら生きていく姿勢こそが生命体の本来の姿なのかもしれません。
上記こそが神道ですね。(他の宗教と異なる)
北海道や甲府盆地に見られる16.500年前の縄文土器は周りが雪や氷で時間があり奇妙な形の土器を造ったかもしれませんね。
自然を利用して生活が成り立ったと思います。
一般に原始宗教は自然崇拝と言われていますが、災害もありその場所を避けるでしょう。
日本の神道は災害の後の恵みも利用しています。
一例)洪水があると山の幸を無視して海の幸に走ります。
勿論、反対の時は山の幸を求めます。これは私の祖父の家訓の教えです。
自然界のエントロピーはゼロです。(理論的でなく概念)
神道には教えがありません。その時その時考えるのが神道です。

あまり、詳しく書けませんが突然変異は衝撃波で起こります。
螺旋のDNAがほどけて、直線状態のDNAがrnaの転写時に衝撃波は入れ替えます。
詳しく、書けませんが追求しないでください。
人間の進化も地球ns両極に分布する筈です。

耐熱は工学と生物学で異なり、最先端の高温タービンは現在1.550度です。
世界の一般は1.200度です。同じ分子で強度、耐熱が異なります。(各国の秘密特許)
最近、タンパク質の高分子の耐熱が450どまで来ています。
始めは商業化は無理で兵器産業になりますが。
仕方のない事です。大量生産できない。

色々、考えさせて頂き泰山さんに感謝します。
                     清水敏夫 
No.000291 泰山 ノンカイ 2016-10-05 09:17:18
高熱性細菌→好熱性細菌、誤変換のまま気が付きませんでした。訂正させていただきます。
私が興味を持って調べていた好熱性細菌は、濃い茶色でした。確か82度C程度の温度でも、蛋白質が凝固せずに増殖する菌で、今でいえば超好熱菌に分類されます。

この細菌は何処の温泉にでもいる細菌で、人体には無害ですが、通常の生物体では考えられない耐熱性を持っています。その耐熱性が何に起因しているのか、タンパク質合成の小器官であるリボゾームを抽出して遺伝子レベルで調べようというものでした。1年や2年で解明できるものではなく、現在に至っても原因を突き止めたという学説は出て来ていません。

今振り返ると、熱によるストレスからタンパク質の変異を防ぐ何らかの機構が構成されていると考えています。恐らく、今回ノーベル賞を受賞した大隅博士のオートファジーと同様な仕組みで、リン脂質の隔離膜が形成されているのでしょう。

このような外部のストレスから自分を守る機能は、現在よりももっと過激な環境にあった初期の生命体が、最初に獲得した機能の一つだと考えられます。過ごし易い環境に長期間身を置いていると、これらの機能は低下していき、環境の変化について行けなくなります。

日本人が、日本列島という自然災害の頻発する地域で、自然と共生しながら生きていく姿勢こそが生命体の本来の姿なのかもしれません。

6万年前にアフリカを出発して以来ずっと行動を共にして来たY-C系が、最終氷期の終焉と共に北米大陸や中央アジア・西アジアに移動した時、我々の祖先Y-D1は何故か行動を共にせず、日本列島に移動して定住します。

その理由がおぼろげながら解ったような気がします。
No.000290 清水敏夫 神奈川縣 2016-10-05 03:39:19
泰山 様
 明快な回答ありがとうございます。
非常に此方の分野の参考より、有益を見出しました。
異種分野の交流が叫ばれてから約40年たちますが、まだまだですね。
>実は、私は学生の頃、高熱性細菌が専門でした
上記で思い出しました。記憶が定かでありませんが。
中学生の頃、田舎ですので収穫したもち米の場所で餅カビが色が異なり、変に思っていました。
高熱性細菌は白と薄いピンクだと記憶しています。
黒カビは簡単に死滅しますが、なかなか、どちらか色を忘れましたが死滅しませんでした。
温泉の傍の田んぼですが、場所で異なりました。
勿論、中学生ですし、そのころ高熱性細菌もしりません。

樺太の山の名前は忘れましたが、表面温度が90度Cあります。
勿論、火山ですが付近は雪が無く植物があり、ガイド曰く、熊も冬眠しません。
その周りは氷で覆われています。
生存条件は色々ですが。

核を持たなく戦争回避を・・・・です。
有益を見出しました。

有難う御座いました。
          清水敏夫
No.000289 泰山 ノンカイ 2016-10-04 21:15:18
>清水さん

人類や生物は次の氷河期を生き残れるかですが、結論から言いますと多くの生命体が死滅しますが、その反面、沢山の生命も生き残る能力を持っており、その中には人類も含まれます。

生命の誕生は、40億年前(±2億年)といわれていますが、その後、多様化を進めてあらゆる環境に特化した種を生み出して来ました。生物は、無意識のうちに、極限状態の環境変化が起こっても、一部は生き残るように進化し続けているのです。

アフリカの砂漠にも高温を好む動植物が生息しているように、北極にもシロクマを始めとした寒冷を好む動物は沢山生存しています。

環境に対する絶大な抵抗力を持つ緩歩動物のクマムシは、極度の乾燥や真空に近い環境でも生存可能です。また、151℃の高温からほぼ絶対零度(−273.15 ℃)まで耐えられます。放射線に対しても強く、X線の致死線量は、ヒトの致死線量500レントゲンをはるかに超える57万レントゲンです。

芽胞を作る単細胞の中には、クマムシ以上の抵抗力を持つのもいます。例え地球が氷の球になっても地表全体が燃え盛る火の玉になっても、地下深くでは温度が安定しています。そこで生き残った生命がまた数億年後には高等動物に進化しますから簡単な事では地球の生命は滅びません。

現生人類は、前回の最終氷期(7万年前~1万年前)の中で最も気温が低下した2.1万年前の氷河期を乗り越えています。その要因はヒトの知恵でした。人類が初めて衣類を身に着けたのが、最終氷期が始まった7万年前である事が、ヒトの衣服に寄宿するコロモジラミの遺伝子研究から解っています。

>日本の様に火山国は生き残る事が可能と思いますが?故に、日本人は人類最古のdnaですか?

元々最初の生命体は、地表近くに噴出した100度近い温水の中で発生した高熱性の単細胞だと考えられています。現存する原始細菌に高熱性が多いことも、その説を後押ししています。
(実は、私は学生の頃、高熱性細菌が専門でした)

現在の人類は、別に火山国でなくても十分に生存できます。氷河期だけの原因で滅びることはないと思います。太陽の利用と原子炉の活用が進むでしょうから、地球規模で新しい人類の文化が花咲くかもしれません。

日本人の祖のY-D遺伝子は、最古ではありませんが、極めて古い遺伝子には間違いありません。Y-Dが発生したのがエチオピアの大地溝帯(火山地帯)で、到達して定住したのが日本の火山列島というのは、非科学的ですが何か因縁を感じます。

大地溝帯も日本列島も、自然災害が多くマグマから発生する放射線も高いので、住むには決して良い環境とは言えません。

しかし、最初の生命体の発生は、まさに煮えたぎる溶岩に接した100度近い温水でした。その生命体と大地溝帯の人類の祖が共通するのは、環境を受け入れて適応し、災害を乗り越えて前向きに生きた事ではないでしょうか。Y-Dもその一環で、何らかの必然的要因によってY-Cから分岐したと思われます。

それが何かは明確ではありませんが、最終氷河期の始まりと関係があったのかもしれません。我々の祖先は、寒冷化に適応することを良しとして、インド大陸・東南アジアを横断して東アジア・シベリア・日本列島に到達しました。

そういう意味では、日本人の環境への適応力と順応性は、世界に誇れるものかもしれません。その遺伝子は、最初の生命体から40億年間もの長い間、脈々と引き継がれていると実感します。
No.000288 清水敏夫 神奈川県 2016-10-04 18:27:34
泰山様
 ご無沙汰しています。
疑問に思った事がありますので質問させて下さい。
歳差運動のみ考えれば周期が約25000年ですから氷河期が12500年前後に現れますね。
実際は黒点や隕石などの影響で、周期性がありませんが。
科学的に氷河期の終わりが12500年前と言われています。
その時、生物は生き残れるかです。
データによると1年中ー20度cとの事です。
シベリアの植物は-80度で破裂しますが。
-80度以下なら細胞水は凍りません。
これは工学でキャピラリが0.1μm以下の話ですが。
動物は冷凍マンモスの状態ですね。
日本の様に火山国は生き残る事が可能と思いますが?
故に、日本人は人類最古のdnaですか?
泰山さんの専門から教えてください。
宜しくお願い致します。
          清水敏夫
No.000278 泰山 ノンカイ 2016-08-24 05:10:35
いつも書き込みありがとうございます。

私のは、研究という偉そうなものでは無く、疑問に思った事に対して、自分なりに納得する解を見つけたいと思ってやっています。従いまして、頂いた感想の中に解決のヒントになることがありますと大変有りがたいのです。これからもよろしくお願いいたします。

>種子島銃

種子島時尭(たねがしま ときたか)の種子島銃ですね。
よくご存じで、びっくりしました。

私は薩摩の生まれで、この辺の話は地理的に妙に縁があるのです。

その頃の種子島氏は、薩摩半島の南端を拠点にしていたのですが、同じように大隅半島の南端を拠点にしていた禰寝(ねじめ)氏と種子島・屋久島の領有権を巡って争っており、禰寝氏は肝付氏と結び種子島氏は島津氏と結びます。

そのような関係で、時尭は私が尊敬する島津忠良(日新斎)の娘を正妻として娶ります。日新斎とは島津家の礎を築いた英明の誉れ高い人物で、島津家の家康みたいな存在と言えば解り易いですかね。その日新斎は島津・伊作家の出身で、伊作(現在の吹上町)から田布施(現在の南さつま市金峰町)の亀ヶ城に拠点を移して、薩摩半島の中央部である日置郡(伊作・阿多・田布施)を納めていました。

私は日置郡串木野市 市来(現在のいちき串木野)の生まれなのですが、父親が小学校教員のため種子島で幼少期を過ごしました。物心付いた頃に金峰町田布施尾下(おくだり)の幼稚園に入園し、卒園後は田布施小学校に入学しました。

なんか変だなと思ったのは、やはり父親の関係で小学校高学年以降を薩摩北部の出水(いずみ)市で過ごしている時でした。出水は、日新斎・貴久親子が島津宗家の相続争いで戦った島津実久の拠点だったのです。偶然だとは思いますが、昭和に入っても、自ら士族と名乗る時代錯誤も甚だしい父親は、まるで島津由来の地を廻っているかのようでした。

ちなみに、実戦で最初に種ケ島銃を使ったのは知将・伊集院忠朗で、難攻不落の岩剣城(現姶良郡姶良市)攻めの時です。1554年のことでした。後に九州のほとんどを統一した、島津義久・義弘・歳久兄弟の初陣でもありました。その功績によって忠朗は家老職を拝します。以後、伊集院家は押しも押されもしない島津家の重臣となります。

日置郡金峰町阿多は、古代の阿多隼人発祥の地でもあり、記紀に登場する亀に乗って神武天皇を案内したという宇豆彦(珍彦・うずひこ)の先祖の地になります。明治期に島津珍彦(しまづ うずひこ)という男爵がいますが、その由来に与ったものなのでしょう。

>高速飛行体の先端がサファイヤーの単結でイスラエルのみ可能

これは超高速の的を得ていますね。一番いいのはダイヤの単結晶を使えばいいのでしょうが、価格面から2番目の硬度のサファイヤを使っているのでしょうね。

本来、和族(Y-D)とユダヤ民族(Y-E)は、6万年前に別れた遠い兄弟遺伝子なのですが、地球の反対側に別れてしまいました。丁度長男と次男のように、基本的には似ていますが性格も考え方も微妙に違う。到達点は同じでも辿る道が違う。そんな感じに受け止めています。

ハプロタイプの順番だけみますと、我々が兄でユダヤ民族が弟に見えますが、実際の順番とは必ずしも一致しません。私は、ユダヤ民族が聡明な長男で、和族がどん臭くてもおおらかで粘り強い次男だという気がします。

いずれにしても、イスラエルという国はとんでもない国になりそうです。純粋なユダヤ族はいない筈ですが、度重なる交配により遺伝的活性度は非常に高いはずです。しかも聡明なだけに本心はどこにあるか判りません。到達点が、我々と同じ人類の平和であればいいのですが。

>古代日本人はどの様な意識レベルか、知りたいです

難しい問題ですが、脳容量も変わりませんし、基本的には現代の日本人とそう変わらないレベルだと思います。知識は後天的なもので、アフリカ人でも高度な教育を受けて白人以上の能力を発揮している人が沢山います。

恐らく、縄文人の子供を現代に連れて来て教育を受けさせれば、そこらの日本人と区別が付かないと思います。むしろ交配が進んでいない分、アフリカを出た時の純粋な気持ちと優しさを持っていると思います。

現代まで文明から隔絶し、アフリカを出た時のままで生活をしているアンダマン諸島のジャラワ族(Y-D*100%)で実験をすれば証明されるかも知れませんが、そんな実験はしたくないですね。でも、イスラエルならやるかもしれません。

>文字

文学や言語学は私の苦手とするところです。子供の頃から勉学が嫌いで、その象徴である文字が嫌いでした。当然文章も下手でした。最近は少し良くなりましたが・・・。

そんな私には、縄文人に数字や記号以外の文字が必要な理由が見つからないのです。有ったら便利だろうというのは現代人の考えだと思います。

文字の発生の歴史を見てみると、メソポタミアでも、エジプトでも、インダスでも外部の遊牧民族の侵略によって異民族国家が誕生した時です。つまりそれ以前には、侵略する方も侵略される方も文字を持たなかったということになります。どちらか一方にあればそれを使用すればいい訳ですから。

何故文字が必要になったかというと、言葉が通じなかったからだと思います。象形文字のような絵文字なら言葉が通じなくても理解できます。異民族国家の統治には文字が不可欠だったのです。古代文字の発生は、5,000年前から4,000年前ごろに集中しています。これは現生人類10万年の歴史から見ると、世界の異なる地域でほぼ同じ時期に、一斉に古代文字が現れたことになります。またそれは、いわゆる古代文明が誕生した時期と一致します。そして、いずれの古代文字も表意文字でした。異民族を統治するのに、表音文字では役に立たないからです。

縄文人に限らず、国家の概念が無かった民族は、話だけで十分でした。お互いに顔を見て相手の気持ちを考えながら話すのは、誤解も少なく非常に人間的な方法です。現代でも国家や団体の重要問題は、トップ会談で決着を図ります。

合戦での武士は、戦う前にお互いに先祖と名前を大声で名乗り合いました。蒙古来襲の福岡湾では名乗っている最中にさんざん矢を射られましたが。

間違っても、真珠湾攻撃のように開戦文が届いてなかったとか、知っていたけどわざと攻撃させたなんて無責任な事にはなりません。西郷隆盛の征韓論も、武力を伴わずにたった一人で出向くというものでした。皆に止められましたが。

>漢字圏(ベトナム、中国、朝鮮、日本)で日本だけが漢字の意味が異なります。

朝鮮と(中国は)漢字の意味も発音も同じ・・・支配者層が漢族(Y-O3)だったから理解できますね。
仏教の経典の発音は中国、韓国、日本は同じ・・・経典は中国から直接入って来ましたし、教義上そう変化してはならないですね。
それ以外の漢字の意味が日本だけ異なる・・・
大陸から直通に来たなら意味が同じでないとつじつまが合わない。

これはいま中国でも盛んに研究が行われています。最初日本で、大和言葉の当時の発音が研究され始め、中国語の発音と比較しようとしましたが、共産党政権が長く続き、当時の中国ではその分野の研究が行われていませんでした。最近は相当進んでいるようです。

中国の漢字は、上古、中古、中世、近代と、その時代によって発音がかなり異なります。意味が変化した文字もあると思います。どんな国の言葉や文字も時代と共に少しずつ変化しますが、中国の場合は異民族の侵略国家が次々と誕生した影響が変化に拍車をかけたと思います。

漢字が日本に入ってきたのは約1,600年前ですよね。発音でいえば、この頃の漢字は戦国時代から漢代の上古音で、現代のピンインとはほとんど異なります。当時の日本人は、中国系渡来人の発音する上古音を聞き取りながら、和語に漢字を当て字したと考えられます。ところが、日本人は古代遺伝子ですから日本語と中国語とは系統的関連性は全くと言っていいほどありません。日本人が外国語をうまく話せないのはここに起因します。周辺諸国の人々がうまく日本語を話せないのもこれが原因です。

その日本人が、中国の上古音を和語で発音しようと努力している姿を想像してみてください。明治維新の英語でジスイズア ペンと発音して笑いの対象となったのと同じだった事でしょう。せっかく日本語化した漢字の当て字も時代と共に変わって行きます。肝心の中国語も別途に変わって行きます。中国の影響を受けた周辺諸国は中国語と読みも意味も同じになりますが、政治的影響を受けなかった日本は、漢字の読みや意味が中国とは異なってきます。

寧ろ逆に、中国語にも朝鮮語にも驚くほど沢山の日本語が入っています。中国人も朝鮮人もそうとは知らずに使っているだけです。
No.000277 清水 神奈川県 2016-08-23 22:55:29
文字:付け加えます。
漢字圏(ベトナム、中国、朝鮮、日本)で日本だけが漢字の意味が異なります。
ベトナムの難民学者が日本に少しいますが、彼らに聞いた所意味が同じです。日産にベトナム難民社員と知り合いになり紹介された。
朝鮮も漢字の意味も発音〈南宋?)同じです。
仏教の経典の発音は中国、韓国、日本は同じです。
それ以外の漢字の意味が日本だけ異なります。
大陸から直通に来たなら意味が同じでないとつじつまが合いません。
文字があり都合の良い漢字に置き換えたと思います。
1980年に青島に行きましたが、通訳が機能しません。
理由は民族意識で言わないのです。
ノーベル章は戦後ですが戦前のビタミンなど30個に相当する発見がありますが、無視されています。
昭和43年にヨーロッパの自動車会社を学生ツアーで見学しましたが、
黄色人種の差別でレストランに入れてもらえず、苦労しました。
人種差別も気にしませんが、現代人は戦後教育で麻痺しています。
これは私の意見で歴史学会に反します。
日本の学会で宇宙物理だけは過去に囚われません。
私の民族意識でなく真実はなにかで、ほかに意味がありません。

No.000276 清水 神奈川県 2016-08-23 18:47:14
 大変体系図けて解説有難う御座います。
私の頭の中はゴチャゴチャです。
例えばイスラエルに行ったときの博物館で仰天します。
(高速飛行体の先端がサファイヤーの単結でイスラエルのみ可能)
日本の縄文土器と同じ形態が沢山展示されています。日本では報道
されません。
生物、医学、工学で用いる多変量解析は通用しません。(但し私の頭の中)
世界の学会も社会(マスコミなど)も御用者で権力で同にでもできます。都合が良い事のみです。悪い事は無視、報道しません。
文学:
親の後天性をDNAに書き込む論文が見られますが、進化論を頭から信じている方と疑問に思う方とで分析解析が異なりますね。
泰山さんは沢山研究されていて私には尊敬の念を隠せませんが。
古代文字(石板)は後から作ったものと御用学者が言えばそれまでです。
世界の民族がどの様に生きてきたか、生き様でわかりますね。
中国、朝鮮(韓国)、ベトナム、台湾、カンボジニア、皆自国民を大量に虐殺していますね。
日本の文字も空白の時代に消された可能性があります。
最近ではGHQですが。大化の改革以前です。
最後に余談:
人類は泰山さん書かれているように侵略、征服の歴史ですね。
アジアの繁栄は日本なくして出来ません。(左翼に通用しない)
中国、韓国しかり、政治レベルで虎視眈々と狙っていますね。
日本が植民地に成らなかったの種子島サネアキ?が鉄砲を現在の金額で2億円で2台買い、工夫して当時のライフルに仕上げています。(中国、朝鮮では千歩銃といいますが其れより長い命中)
私も相手が被害なく侵略できない社会が現在の人類の意識レベルと思っています。
古代日本人はどの様な意識レベルか、知りたいです。
泰山さんには頭が下がります。
ありがとうございました。
              清水
No.000275 泰山 ノンカイ 2016-08-23 13:41:10
このコメントシステムは、少しずつ機能を足せばいいとスタートしたのですが、まだ最低限の機能のままです。投稿に返信が有った際にメールで連絡する機能などは真っ先に付加したいと思っていますが、コンテンツの作成と見直しに追われて後回しになっています(汗)。

サイト全体の[最近のコメント]は トップページ(http://taizanweb.com/)の最下段にリアルタイムで表示してあり、クリックすればそこから直接該当するコメントに飛べます。ちなみに、全ての投稿はその時点で私に転送されますから、可能な限り即座に返信するようにしています。

>神社

確かに出雲系の遺跡出土品や精神構造は縄文色が強いですね。青銅が武器よりは神託を主体に使われている事からも、よりアニミズムを感じます。鳥居が稲作文化とともに大陸から伝わり、縄文文化と融合して神道が形成されていった過程で、北九州と出雲系では地域差が発生した可能性がありますね。古い時代ほど石への崇拝が強いので、その辺を念頭に置いて比較してみると面白いかもしれません。

貴重な論考、有難うございました。

>赤米

縄文人は、数万年前から古代米である赤米を食していたようです。ただ、狩猟や漁猟への愛着からか、米は予備食の域を出なかったと思われます。水田稲作が本格化した時、祭事として赤米を奉じるのはいかにも日本文化という気がします。根源を忘れるなという祖先の教えなのでしょう。それが祖先や万物を大切にする本来の神道であり、その場所が神社なのでしょうね。

>文字

古墳は、大陸からの技術者が指揮して作ったと考えられますので、その技術者たちは当然漢字や土木・測量技術を習得していたと思えます。縄文時代に記号や数字以外の文字があったかどうかは、まだこれといった証拠が見つかっていません。むしろ、文字が無かったので、日本人は相手を敬う精神文化を発達させたのではないかと考えています。

>海外

1977年といえば、ずいぶんと早い時期の海外勤務ですね。私が初めて海外に渡航したのは40代後半の台湾ですが、その時は台北市内と台中だけで、地方の文化には触れられませんでした。タイ チェンマイの郊外で、村の入り口に竹製の鳥居を発見した時は、一気に弥生時代にタイムスリップしました。

外から見て、初めて日本が理解できますね。
No.000274 清水  神奈川県 2016-08-23 04:22:07
泰山 様
 お返事をいただけると思わないので気が付きませんでした。
少し紹介すると、団塊の世代で海外出張が一般職にも出始めで可成りの国を行き、ホテルでなく通訳の方のホームステイで土地の文化を習いました。
韓国にも1977年に1年半軍関係の仕事をして、日本との共通点を合間に探しました。もちろん神社に関係します。
韓国映画でも判る様に男は馬の毛で作った漉き取った帽子と女官の兜巾を見ると思います。
砂漠を渡ってきた両班ですね。日本には兜巾(山伏)にみられますが。西日本の神社の祭事は生贄の血を祭ります。(最近見られない)東日本は赤米や芋茎などで豊作を祈願します。
勿論、西東に完全に分類できませんが。
出雲系と天皇系神社は祭事が異なります。
大陸から来た出雲系の古墳の周りが石で天皇系は周りが池です。
詰り、海洋移動で先祖の魂を祭る時、砂漠、海を表していると思います。持論ですみません。証拠は沢山ありますが割愛します。
もう少し、お付き合いください。
文字も無く300メータ級の古墳は作れません。
GHQの占領下で古代文明が破棄されていますが。
私は高速空気力学が専攻なので、判りますが。江戸時代の和船をあっさり捨てて西洋船に変えました。(東大の初代造船教授は加賀藩の家老、和船)
和算もそうです、文字も漢字に変えたと思っています。
文字も無い未開民族と思っていません。

前後ハチャメチャで恐縮します。
それでは笑ってください。
              清水
No.000273 泰山 ノンカイ 2016-08-21 11:39:47
>清水さん

ご感想、有難うございます。
人は誰しも年を重ねると自分のルーツが気になって来ますね。

日本人とチベット族の共通祖先がアフリカからアジアへ到達したルートですが、現在でも、中央アジアを横断した説と海沿いに移動した説の2つのルートが議論されていますね。私も、最初のアジア人である日本人とチベット族の共通祖先は、海沿いにやって来たと考えています。

その理由は、民族の特性と本質は遺伝学的にもそう簡単に変わるものではないと思うからです。確かに陸のルートは最短距離で到達できる魅力的なルートですが、それは現代人が考える発想で、当時の状況と民族性を反映しているとは思えません。

そもそも、現生人類の祖先が唯一生き残れたのは、湖や海の周辺で生活していたからだと思われます。槍と小さな弓しかない時代の人々が生活する場所は、海や湖など水の豊富な所に限られていました。アフリカの砂漠地帯を嫌って脱出した人々が、中央アジアの砂漠地帯に向かって移動するとは到底考えられないのです。

子や孫には4分の1の確率で両極端の形質が現れます。毛深いのは古代遺伝子(古モンゴロイド)の特徴で、まさに日本人の特徴ですね。周辺諸国には毛深い民族はいません。蒙古斑点はアフリカ人の子供にもあります。皮膚が黒いので気が付かないだけです。
ご家族の中に湿った耳垢の方はいませんか?私は湿った耳垢なのですが、これも古モンゴロイドの特徴です。

1つ質問ですが、2種類の神社とはどういったものでしょうか?
No.000272 清水 神奈川県 2016-08-21 06:59:42
 大変良く調べましたね。
日本人ですが孫に縄文(沖縄、アイヌ、アンダマン諸島など)のDNAが見当たります。
小柄で女ですが脛毛があり、目は二重、丸顔、鼻は中間、足は太い
両足に蒙古斑点、お尻にも、しかし、孫の長女は反対です。
樺太のアイヌ民族(完全な日本人)もカンボジアの古代遺跡を見てきましたが、日本人のルーツと思えてなりません。
大陸移動でなく海洋移動がメインと思えてなりません。
日本の前方後円も周りが池と陸地の2種類に分布があります。
神社も2種類に分けられ、いろいろ定年後は考えふけっています。
有り難く、判りやすい文献有難う御座います。