和族遥かなる旅路Ⅱ

タイ族編 第9話 - 夏王朝

賈(か)族の素性ははっきりしませんが、周族の姫(き)姓や姜(きょう)姓と通婚関係にあったようです。姜族とも呼ばれる周族は、黄河上流の渭水で馬や羊の放牧をしていたチベット系遊牧民ですから、賈族も周族と親戚関係にあったチベット系遊牧民の羌(きょう)族だったようです。中国大陸の戦争の歴史は、騎馬民族によって幕を開けました。

黄河流域で賈族の支配下に置かれた苗族もチベット系の倭族ですから、民族の分岐が進んだ結果、文化の違う倭族同士が抗争する時代に突入していたのです。遊牧民が父系社会であったことも、侵略を促す大きな要因だったのでしょう。

黄河中流の賈湖(かこ)村を占拠した賈族は、そこに遷都して、騎馬族連合の盟主の座に着きます。石棒に文字を刻んで祈祷をする、和族の最先端の祈祷術を手に入れた賈族が、盟主として相応(ふさわ)しかったのです。黄帝の孫の禹は、西に周族、北に商族の諸侯を従えて中原に進出し、和族の邑を占拠します。そして再び遷都して、夏王朝を開きます。

当時の戦いは、近代のそれとは少し趣きが異なっていました。敵陣を進む時は、祈祷師を先頭に兵は後から付いて行きます。祈祷師は呪文を唱え、敵の祈祷師が放った呪いを防ぎながら進みます。一番怖かったのは槍でも刀でも無く、敵が放った姿の見えない呪いでした。狩り取った敵の首を道の横に置いて、呪いを解除しながら進みます。"道"という字に"首"が添えられているのは、そういう意味があったのです。

禹は、農民を保護して善政を敷き、三皇を合体した龍神を崇拝するようになります。先祖である黄帝を神格化したものでしょう。禹はまた、和族の祈祷術を受け継いで、甲骨文字を発展させます。夏王朝の直接支配地や朝貢邑が黄河全域に及ぶと、商人や旅人がこの長江流域にも頻繁に訪れるようになりました。

[モーナ]お、旅人だ。

高砂族のモーナは、山道の茂みに身を潜め、腰から蛮刀を抜きます。インにあれ程言われたのに、まだ首狩りをやる積もりです。大きな荷物を背負った旅人たちが、隠れているモーナの目の前を一人二人と通り過ぎて行きます。一番後ろを歩いている人間に背後から近づいて口を塞ぎ、順番に喉を掻き切って行くのです。

[ヌン]待て、モーナ!あれは苗族の難民だ。俺が黄河に居た時、一緒に暮らしていた倭族だ。

不審に思って後からついて来たヌンが止めなければ、済んでの所で首を狩られる所でした。こうした難民が、長江流域北部にも毎日のように押し掛けて来ていたのです。本来首狩りは、太陽神と祖先に捧げる為に行うものですから、敵対する異民族の男しか対象にしません。村に侵入して来た屈強な男の太い首を狩った者が、村の英雄として称えられるのです。

ヌンは苗族を和族の村へ連れて行き、黄河の様子を聞く事にしました。

[イン]ふうん。ひどい事をしやがるなぁ。しかし、夏族は、農耕を保護しているそうじゃないか。それなら今からでも、話の余地があるんじゃないか?
[ヌン]うん。夏族と周族は同じ倭族だから農耕民族に理解が有るけど、商族が残虐なんだそうだ。それに銅製の強力な武器を持っているから、夏族も見て見ぬ振りをしているらしい。
[モーナ]ほらみろ、おれが商人の首を狩っているのは、間違いじゃ無いだろ。

[イン]それとこれとは話が別だ。しかし、この村も防御壁を作らなければならないな。長江中流でも、村の入り口に作った祭壇を高くして、防御壁を強化したそうだ。

和族・イ族・タイ族・高砂族・苗族は、力を合わせて防御壁を作り始めました。

[イン]ヌンは、タイ族と苗族を率いて、村を囲むように用水路を掘ってくれ。俺たちイ族と和族は、土を盛って城壁を作る。高砂族は、山から木や竹を切り出してくれ。
[ヌン]わかった。
[モーナ]任せてくれ。

村と田を囲むようにぐるりと用水路の壕を堀り、その外側に土を盛り柵を巡らして防御壁にします。農民と田を守る為の壕と防御壁ですから、近代の城郭の堀とは逆になりました。

[イン]東側の祭壇は、もっと高くして物見櫓と兼用にしよう。これなら、何百年でも篭城できるぞ。
[モーナ]来るなら来い。全部首を狩ってやる。

堀や防御壁を持った村は、邑と呼ばれるようになり、指導者による小国家の体を成していました。しかし、夏王朝は、外交による懐柔策をとったので、遠くにある長江流域にはあまり影響が及びませんでした。和族の邑でも以前と変わらず、平和な日々が続きました。

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