和族遥かなる旅路Ⅱ

タイ族編 第6話 - 土器

今年も無事に豊穣祭を終え、農閑期に入った和族の村では、煮炊き用の土器を作っていました。土器は、アルタイ地方で32,000年前にY-C*から分岐したY-C2が、肉や魚の塩漬けを作る為に25,000年前頃から作り始めたようです。

彼等は、日本に渡ったソンのY-C1と祖が同じで、北方系和族と一緒に日本列島にもやってきます。土器は彼等の手によって、日本列島と中国大陸にほぼ同じ時期に伝えられたようです。Y-C2は、Y-C1に輪をかけた冒険遺伝子で、アルタイ地方を中心にシベリア・中央アジア・中国大陸に拡散し、北米大陸から南米大陸を走破した民族です。

[イン]へぇ。お前、土器を作るのが上手いなぁ。
[ヌン]うん、黄河でも作っていたからね。収穫した粟(あわ)を入れていたんだ。こうやってね、途中から細くして最後にまた外に広げる。これは水差しだ。形が出来上がったら、手に水をつけて表面を滑らかに仕上げる。

土器は、定住民族を中心に北から伝わって来て、長江中流域でも20,000年前から作られていましたが、粘土の紐を螺旋状に巻きながら作っていました。遼河流域でロクロが発明され利用するようになったのは、ほんの6,000年前のことです。ロクロとロクロ製無紋土器は、南方系和族によって朝鮮半島や九州にもたらされますが、創造性に富む北方系の縄文土器に押されて、稲作が始まるまではなかなか浸透しなかったようです。

[ヌン]イン、この広口の大きな土器は何に使うんだい?
[イン]あぁ。これは、俺もここに来るまで知らなかったんだけど、塩を作る時に使うんだ。綺麗な海水を入れて、煮詰めると塩が出来るんだ。

[ヌン]えぇ、海から塩が採れるのかい?、・・・。でっ、この蓋が付いた小さい壷は?
[イン]それは、茶の葉を入れるんだ。山に行くとな、野生の大きな茶の木が生えている。その葉を摘んで乾燥させたのを煎じて飲むと、万病に効くんだよ。阿倭山にいる頃から使っているよ。稲作と薬草の文化は、俺達倭族がこの村に伝えたんだ。

茶はツバキ科に属し、チベットから雲南にかけての照葉樹林帯が原産地と思われます。漢の時代は高価なものとして皇帝に献上されましたが、最初の頃は、山に生えている老木の茶を葉を摘んで来て、天日で干しただけの薬草でした。


[ヌン]塩を作るところが見たいなぁ。
[イン]行ってみるか。

二人は、中をくり貫いた太くて長い竹の筒を一本ずつ担いで、海へ向かいました。いつもは山から飲み水を汲んで来る時に使う竹筒です。

[イン]駄目駄目、近くのじゃ。少し沖の方の綺麗な海水を汲むんだ。
[ヌン]あぁ。

[イン]帰りは重いから大変だぞ。砂に足をとられるなよ。
[ヌン]あぁ。

やっとのことで村に帰ってきました。

[イン]よし、海水をこの土器に移して、どんどん火を焚く。
[ヌン]あぁ。

あの広口の土器でした。ヌンは疲れ切って、「あぁ」しか言いません。

[イン]いいぞ、海水が沸騰してきた。後は、水が少なくなるまで火を焚きつづけろ。
[ヌン]分かった。

[イン]水が少なくなってきたら、木の棒で良く掻き混ぜる。十分の一に煮詰まるまでな。ほら色が白くなってきただろう。こいつは苦いので布で取り除く。水が透明になるまでな。
[ヌン]ほんとだ。苦い。

[イン]少しずつ火を弱くして、どんどん掻き混ぜろ。今度白くなったら、それが塩だ。
[ヌン]・・・。

[イン]ようし、いいぞう。そのまま煮詰めて、とろとろになったらまた布で漉す。今度は捨てるなよ。塩だからな。
[ヌン]おぉ、塩だ、塩だ。作るのは大変だけど、旨いなぁ。

[イン]あぁ、海水の成分が全部入っているからな。後は、少し乾かせば大丈夫だ。
な~んて、偉そうな事を言ってるけど、本当は、俺もラオーに教えてもらったんだけどな。はははっ。

ヌンは、その後で山の茶の木を見に行きました。樹齢数百年の老木が青々と茶の葉を茂らしていました。海の文化と山の文化が融合した長江下流のこの村は、中国大陸の全てを凝縮したものではないか。それを、俺みたいな者に任せてくれるなんて・・・。ラオーが渡った先の日本列島は、更に北方文化も融合していると聞いている。一体全体、どんな素晴らしい所なんだろう・・・。

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