和族遥かなる旅路

シベリア編 第6話 - マンモスハンター

イーたちは、アムール川を下って日本海に出ていました。当時の日本海は、シベリヤ・樺太・北海道は陸続きで、ほとんど陸地化した津軽海峡と対馬海峡は度々厚い氷に閉ざされていました。そこに雪解けの水が大量に流れ込み、少なくとも表層的には巨大な淡水湖の体を為していました。

[ソン]みろよ、ジー。マンモスはここに集まっていたんだ。
[イー]でかい湖だなぁ。バイカル湖よりずっとでかい。

そこには、バイカル湖から先行して来た和族たちがいました。懐かしい顔ぶれです。彼等は、シベリヤ北部・樺太・北海道の広大な貿易圏を担うようになり、子孫はアイヌ民族と呼ばれるようになります。

[ソン]やぁ、久しぶりだなぁ。みんな、元気しとったか。

ジーやソンから見れば、自分の子供や孫たちのようなものです。昔話に花が咲きました。
彼等は余り定住はせず、マンモスを追いかけて、シベリヤと北海道を行ったり来たりしているようでした。それほど、日本海は広かったのです。

[ソン]ん、お前たち、ずいぶん細石刃(さいせきじん)を持ってるなぁ。

日本列島は、黒曜石の一大産地だったのです。細石刃は、樺太を経由して続々とシベリヤに持ち込まれていました。それが、本格的なマンモスハンターを育て上げたのです。とは言っても、マンモスが獲れるのは、せいぜい年に数頭です。人々は、トナカイや小動物を狩りながら、マンモスを追いかけていたのでした。

この頃の日本列島の様子を見てみましょう。

西日本の海岸沿いには、揚子江下流から陸伝いに渡ってきた南方系和族が、漁労採集の移動生活をしていました。森林分布的には、照葉樹林帯と重なります。人口は、まだまだ少なかったようです。

九州北部から中部地方にかけての山岳部と東北地方には、黄河流域から朝鮮半島を渡ったきた南方系和族が、ナイフ形石器で狩猟採集の移動生活をしていました。彼等の人口も決して多くはありませんでしたが、ドングリや栗などの落葉広葉樹林帯を中心に移動生活をしていました。野尻湖では、40,000年前からナウマン象の猟をしていた形跡があります。彼等は、何と、ナイフ形石器の投槍と弓矢だけでナウマン象に挑戦していたようです。

更に、アルタイ地方からナウマン象を追いかけてきた北方系和族が、細石刃を伴って日本海や朝鮮半島を渡り、浜名湖・瀬戸内海・野尻湖に進出してきました。

[ソン]よおし、俺たちも日本列島に渡るか。
[イー]あぁ。

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